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京都地方裁判所 昭和31年(う)705号 判決 1956年3月03日

主文

被告人永福貞義を懲役一年に、

同  久我サワ子を罰金五千円に、

同  山崎佳郞を懲役三月に処する。

被告人久我において右罰金を完納することが出来ない時は金二百円を一日に換算した期間労役場に留置する。

被告人永福、同山崎に対し各二年間右刑の執行を猶予する。

被告人久我サワ子の傷害の点は無罪

理由

第一、被告人永福、同久我は当時、株式会社ホテル・ラクヨー(京都市下京区塩小路通り新町所在)の労働組合の組合員で、被告人山崎は日本労働組合総評議会加盟京都一般産業労働組合連合会の書記長であつたが、前記ホテル・ラクヨー労働組合では賃上げ等を求めて右会社と争議中のところ昭和三〇年三月一八日午後二時頃同会社従業員大島とし、小倉博子、亀子静枝、梅本美枝子、中村玲子(いずれも非組合員)らが同ホテルに入ろうとして同組合のピケ隊に阻止され、隊員約二〇名により同区木津屋町通り新町西入る東塩小路町五九二同ホテル従業員寮内斗争本部中庭に同行されて来るや、被告人永福、同久我及び同山崎の三名は同所で待機中の組合員数十名と共に、「組合に入らぬ理由を一人一人説明せよ」と促し、やがてスクラムを組んで前記五名をとりかこみ、労働歌を高唱し、ワツシヨワツシヨと掛声をかけて気勢をあげながら、約二〇分間に亘り押す、体当りをするなどの行動を続け、以て多数と共同して右五名に対し暴行を加え、

第二、被告人永福は昭和三〇年四月一二日前記会社を解雇され失業し、同年四月二十九日から京都七条公共職業安定所において、失業保険金の給付を受けていたものであるが同年五月一日から肩書自宅で、クリーニング業を自営するに至りその後は失業保険金受給資格を失つたのに拘らず右自営業の事実を秘し、同年五月一一日右安定所において係員を介し、安定所長内藤孝芳に対し、引続き失業している旨虚偽の事実を記載した失業認定申告書を提出し、同所長をしてその旨誤信させて失業の認定をうけ、即時同所から、失業保険金給付名下に現金二、七五〇円を受取り、爾来同年九月一日迄の間一八回に合計三四、六五〇円を受取り右総計三七、四〇〇円を包括して騙取し(別表参照)

たものである。

証拠(省略)

適条

被告人永福について

暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項(懲役刑を選択)、刑法第二四六条第一項、罰金等臨時措置法第二条、第三条、刑法第四五条前段、第四七条、第一〇条、第二五条第一項

被告人久我サワ子について

右処罰に関する法律第一条第一項(罰金刑を選択)、右臨時措置法第二条、第三条、刑法第一八条、

被告人山崎について

右処罰に関する法律第一条第一項(懲役刑を選択)、右臨時措置法第二条、第三条、刑法第二五条第一項

右の外訴訟費用の負担の免除について刑事訴訟法第一八一条第一項但書

無罪の点について

被告人久我サワ子は単独で、昭和三〇年三月一八日判示株式会社ホテル・ラクヨー労働組合員の争議中、判示従業員寮内中庭において、非組合員大島としが、組合員らの示威のためのスクラム中から脱出しようとしたのを認めて中庭食堂入口附近において後方から同女を突き飛ばして転倒させ治療三日間を要する両膝関節部擦過傷を負わせた旨の公訴事実については、その証明十分でないから、刑事訴訟法第三三六条後段に従い無罪の言渡をすべきものである。

よつて主文の通り判決する。(昭和三一年三月三日京都地方裁判所)

(別表は省略する)

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